コロナ禍は、社会を根底から変えた出来事でした。
通勤も通学も途絶え、私たちは「群れなくても生きられる」ことを知りました。
その変化は教育にも大きな影響を与えています。
かつての日本を象徴した「戸塚ヨットスクール」のような“鍛える教育”が急速に時代遅れとなり、
代わりに、B型作業所や在宅支援といった“支える教育”が広がりを見せています。
この記事では、**コロナが告げた「集団から個への時代変化」**を軸に、
昭和的訓練教育と現代的共生教育の対比を掘り下げていきます。

個の時代の働き方
🧱 コロナが示した「集団から個」への社会転換
コロナ以前の日本社会は、
学校・会社・部活・地域など、“群れの秩序”を重視する構造でした。
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集団行動が正義
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空気を読むことが美徳
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「我慢・忍耐・努力」が評価される
これらはまさに、昭和を象徴する精神文化です。
しかし、コロナがもたらしたリモートワーク・オンライン授業・在宅就労の流れは、
**“個が自分のリズムで生きる社会”**への転換を強制的に促しました。
もはや「同じ空間にいなければ成り立たない教育・仕事」は崩壊したのです。
⚓ 戸塚式教育が依って立っていた“昭和の集団主義”
戸塚ヨットスクールは、1970〜80年代の「荒れる子ども」問題を背景に台頭しました。
戸塚宏氏の主張は、
「人間の本能を叩き直せ」「体罰で怠惰を矯正せよ」
という、根性教育の究極形でした。
このメソッドは、
「集団の規律に従うことこそ人間の成長」
という思想に立脚していました。
しかしその前提には、
「強者が弱者を導く」「上意下達で統制する」という昭和的ヒエラルキーがあり、
個人よりも集団を優先する価値観が支えていたのです。

鍛錬で強くすることが最善とされた時代
ポストコロナ時代の教育 ― 「鍛える」から「支える」へ
コロナ以降、社会は明確に“非集団化”しました。
学校教育も、障害福祉も、ビジネスも、**「強制」ではなく「支援」**がキーワードになりました。
B型作業所の在宅化はその象徴です。
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通所が困難な人でも、自宅からリモート作業が可能
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指導ではなく伴走支援
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成果よりも継続・安心・社会参加を重視
ここには「ありのままを受け入れる」という仏教的慈悲の思想が息づいています。
戸塚式が「変えようとする教育」だとすれば、
B型作業所は「寄り添う教育」。
同じ“自立”を目指しながら、アプローチがまったく異なります。

B型作業所のPC作業
🧘♂️ 仏教的受容と新しい共生の思想
仏教の「ありのまま受け入れる」思想は、現代の福祉・教育に深く重なります。
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怒りや粗暴さも“縁起”の結果として受け止める
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治すのではなく、気づきを促す
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矯正ではなく、共生
現代の教育・福祉モデルは、この“受容の思想”に大きく近づきつつあります。
それは「甘やかし」ではなく、「ありのままの自己と向き合う成熟の形」なのです。

瞑想とは無心でやるべき
戸塚メソッドの終焉と残された問い
コロナは、戸塚式教育の「前提」そのもの――
つまり集団・規律・体罰による鍛錬――を無効化しました。
もはや「距離を保ち、画面越しで学ぶ時代」において、
教官が怒鳴り、体で叩き込む教育は成立しません。
しかし彼が問いかけた
「人間は怠ける生き物だ」「生きるには本能の鍛錬が要る」
という問題意識自体は、
“心の弱さをどう扱うか”という哲学的テーマとして残り続けています。
それは今、マインドフルネスや心理療法、セルフマネジメントという形で再解釈されているのです。
🌏 結論:コロナが告げた時代の変化とは
コロナはこう語りかけたのかもしれません。
「群れなくてもいい。
無理に鍛えなくてもいい。
あなたのペースで、生きていけばいい。」
戸塚式のように「強さ」を求める時代は終わり、
B型作業所やリモート支援のように「共に支える社会」へと舵が切られました。
つまり、
“教育の目的が矯正から共生へ”変わったのです。
コロナは、人類にその方向転換を迫った「静かな革命」だったといえるでしょう。

